この名字はまだ図鑑に載っていません
全国14179位約423人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「河副」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
五三桐
桐の葉三枚の上に、花の穂を立てた図案。
菊
菊の花を、放射状の花びらで表した図案。
『姓氏家系大辞典』第2巻 253コマに「家紋五三桐、菊」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
河副(かわそひ)は肥前(佐賀県・長崎県)に河副庄があり、また近江(滋賀県)にこの地名が存する。佐々木氏流で近江国神崎郡川副邑より起こる。新編会津風土記に「川副氏、その先は近江源氏にて、備中守時親というもの、近江国神崎郡川副を領せしより子孫因て氏とす。明応の頃、斎孫に新太郎重頼というものがあり、室町家に仕えて伊賀守に任ぜられたという」と見える。また寛政系譜にあり、「蒲生定秀の臣勝重の後である。秀吉に仕えした孝蔵主尼は勝重の女である。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
河副カハソヒ肥前に河副庄あり、又近江に此の地名存す。1佐々木氏流近江國神崎郡川副邑より起る。新編會津風士記に「川副氏、其の先近江源氏にて、備中守時親と云ふもの、近江國神崎郡川副を領せしより子孫因て氏とす。明應の頃、斎孫に新太郎重賴と云ものあり、室町家に仕へて伊賀守に任ぜられしと云ふ」と見ゆ。又寬政系譜にあり、「蒲生定秀の臣勝重の後なり。秀吉に仕へし孝藏主尼は勝重の女なり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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