この名字はまだ図鑑に載っていません
全国14696位約399人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「江馬」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
丸に鱗
三角形を三つ積んだ図案。
花菱
菱形の輪郭のなかに、四弁の花を描いた図案。
『姓氏家系大辞典』第1巻 407コマに「家紋丸に三鱗、花菱、三本傘と」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
江馬(えま)は前項の伊豆江馬庄から起こった。江馬庄の名は文明四年の豆塚神社の鰐口銘に見える。桓武平氏北條氏流が伊豆江馬庄から起こり、また江間とも言う。北條義時がこの地を領して江馬小四郞、江馬殿などと呼ばれた。『東鑑』養和元年四月条に江間四郞、寿永元年十一月十四日条に「今晩、北條殿が急に豆州(静岡県)に進発した。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
江馬エマ前條伊豆江馬庄より起る。江馬庄の名は文明四年豆塚神社の鰐口銘に見ゆa1桓武平氏北條氏流伊豆江馬庄より起リ、又江間ともあり。北條義時·此の地を領して江馬小四郞、江馬殿など呼ばる。東鑑養和元年四月條に江間四郞、壽永元年十一月十四日條に「今晩、北條殿俄かに豆州に進發し給ふ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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