この名字はまだ図鑑に載っていません
全国18309位約275人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「水成」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
菊
菊の花を、放射状の花びらで表した図案。
桐
桐の葉三枚の上に、花の穂を立てた図案。
『姓氏家系大辞典』第6巻 92コマに「家紋,菊紋略、維新の際改めて五七の桐」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
水成(みなせ)は『和名抄』に摂津国(大阪府・兵庫県)島上郡の水成郷として載っており、『万葉集』では水瀬、または水無瀬と書かれている。その地は山城(京都府)の乙訓郡山埼と接しており、延暦以後、天皇が屡々水成野に行幸した。『続日本紀』『日本後紀』『顕○国史』などに見える。また天暦四年『東大寺庄間目録』に「島上郡山埼水成庄」と見える。水無瀬(みなせ)は前項参照。前項に述べた水成○はまた水無瀬と書かれている。『東大寺要録』巻六に「諸国諸庄田地・新発田、水成瀬庄田八町七段七十八歩在摂津国島上郡)」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
水成ミナセ和名抄、攝津國島上郡に水成郷を收む。萬葉集には水瀨、又は水無瀬に作る。其の地·山城の乙訓郡山埼と相接し、延曆以後、車駕·屢々水成野に幸し給ふ。續日本紀、日本後紀、顯藥國史等に見ゆ。又天曆四年東大寺莊間目錄に「島上郡山埼水成莊」とo水無瀨ミナセ前條水成〓は又水無瀬に作る。東大寺要錄卷六に「諸國諸庄田地·新發田、水成瀬庄田八町七段七十八步在攝津國島上郡)」と。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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