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全国12641位約510人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
比内(ひない)は、羽後国(秋田県)比内郡(北秋田)から起こった。『永慶軍記』に「秋田城介実季の弟を比内忠三郎実泰という。同国比内の庄の領主として、大館の城に住んだ。これは南部大膳大夫信直の家である。こうして天正六年、実秦の死後、比内は自然と南部のものになった」と(『秋田』『南部』などの項を参照)。また、その後、元和六年、佐竹義実の状に「檜内式部の住む所は城のようなので、家を破毀すべき」と、これは御北殿小場義成のことである。『小場』『御北』『佐竹』などの項を見てほしい。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
比內ヒナイ羽後國比內郡(北秋田)より起る。永慶軍記に「秋田城介實季の舍弟をば比內忠三郞實泰とて、同國比內の庄の領主として、大舘の城に居住す。是は南部大膳大夫信直の塔なり。かくて天正六年、實秦死去の後、比内は自然南部のものとなれり」とアキタ、ナンブ等條參照。又その後、元和六年佐竹義實狀に「檜內式部の居り候處は城の樣に候間、家を破るべく候」toこは御北殿小場義成の事なり。小場、御北、佐竹等の條を見よ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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