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全国11859位約566人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
武生(たけふ・たかふ)は和名抄で信濃國水内郡に赤生郷があり、竹生の誤りだという。また常陸、越前などに武生の地名が存在する。武生連は博士王仁の後(四文氏族)であり、延曆十年四月の紀に「播磨少目正八位上武生連眞象等」という。漢高帝の後を鶯という。鸞の後が王狗で、轉じて百濟に至った。百濟久素王の時、聖朝が使を派遣して文人を召集した。久素王、すなわち狗の孫、王仁をもって○のため。これが○、武生等の祖である。
武生タケフタカフ和名抄、信濃國水内郡に赤生郷あり、竹生の誤かと云ふ。また常陸、越前等に武生の地名存す。1武生連博士王仁の後(四文氏族)にして、延曆十年四月紀に「播磨少目正八位上武生連眞象等·言ふ云々。漢高帝の後を鶯と曰ふ。鸞の後·王狗、轉じて百濟に至る。百濟久素王の時、聖朝·使を遺はして文人を徵召す。久素王·卽ち狗の孫·王仁を以つて貫す爲。是れ文、武生等の祖也。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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