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全国13792位約443人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
櫛橋(くしはし)は赤松氏流で、赤松氏の一族であり、赤松家風に関わる事柄で当家の御年寄として此の氏を収める。赤松則景の八男八郎有景の後裔であり、永条の頃、播州(兵庫県)志方の城主に櫛橋豐後守伊定がいた。これは黒田長政の外祖である(武藤○次郎氏)と言う。志方邑の安楽寺は永禄中に櫛橋秀則の重興と伝えられ、また同所の観音寺城は天正中・別所氏の一族櫛橋左京亮伊則の城址と見える。徳川時代には福岡黒田藩の用人にこの氏がいた。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
櫛橋クシハシ1赤松氏流赤松氏の一族にして、赤松家風條々事に、當方御年寄として此の氏を收む。赤松則景の八男八郎有景の後裔にして、永條の頃、播州志方の城主に櫛橋豐後守伊定あり、是れ黑田長政の外祖なり(武藤〓次郞氏)と。志方邑安樂寺は、永祿中、櫛橋秀則の重興と傳へ、又同處觀音寺城は、天正中·別所氏の一族櫛橋左京亮伊則の城址と見ゆ。德川時代、福岡黒田藩用人に此氏あり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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