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全国14606位約403人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
橋迫(はしせこ)は橋田から起こり越後国(新潟県)蒲原郡橋田邑より生じ橋田城に拠った。『源平盛衰記』に城資職の従士に橋田太郞が見える。大将軍として信濃(長野県)に向かった。城条第三項参照。連綿として祖業『和名抄』に山城国(京都府)阿波に箸蔵の地名がある。熱田神宮の社家に○徳川時代細川藩用人に守清仲-維次(橋爪五郞)-維思(○年)と見え原条参照。○和源氏為義流江戸幕臣にして家紋は葛葉と丸に矢である。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
橋迫ハシセコ橋田から越後國蒲原郡橋田邑より起リ.橋田城(橋田村)に據る。源平盛衰記、城資職の從士に橋田太郞見ゆ。大將軍として信濃に向ふ、城條第三項を見よ。連綿として祖業和名抄、山城國阿波に箸藏の地名あり。熱田神宮の社家にしハイチ德川時代、細川藩用人に守清仲-維次(橋爪五郞)-維思(中庄二年)」と見ゆ、原條參照。2〓和源氏爲義流江戶幕臣にして、家紋葛葉、丸に矢也。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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