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全国22385位約191人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
樟(くす)○樟使主が天武前紀に樟使主磐手と言う者として見える。そして豊後(大分県)に球珠郡があるので、地理志料は「天武壬申年の紀に樟使王勢手等を筑紫に遣わすと。それゆえこれを謂って言うには、筑紫太宰栗隈王は元皇太弟に隸属する。疑わくば反意があったのではないか。もし不服の色があらば、即ちこれを殺そう。樟使主と大分君とは同じく朝に立つ。蓋し本郡の人であろう」と論じている。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
樟クス○樟使主天武前紀に樟使主磐手と云ふ者見えたり。而して豐後に球珠郡あれば、地理志料は「天武壬申年の紀に樟使王勢手等を筑紫に遣はすと。仍りて之を謂つて曰はく、筑紫太宰栗隈王は元皇太弟に隸す。疑ふらくは反ありし歟。若し不服の色あらば、卽ち之を殺さむ。樟使主と大分君とは、同じく朝に立つ、蓋し本郡の人ならん」と論ず。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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