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全国21644位約203人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
楠浦(くすうら)は甲斐国(山梨県)八代郡の名族であり、東河内楠甫村から起こった。石橋八幡宮応○二年の棟札に「武田五郎(信昌)殿御代官楠浦修理進重春」と見える。楠甫は岩間庄の村名であり、謙倉の時に、和田一門の関所で伊賀二郎兵衛尉光宗に与えられた。この伊賀(三重県)は佐藤伊賀守朝光の子で、伊賀を名とする者であり、本姓は佐藤氏である。ここから出ている趣きではあるが、それ以前に、庁官がいたという古い場所や荒れ墳などが存在していた。平姓の人がいて楠浦氏を称していたのだろうか。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
楠浦クスウラ甲斐國八代郡の名族にして、東河內楠甫村より起る。石橋八幡宮應七二年棟札に「武田五郞(信昌)殿御代官楠浦修理進重春」見ゆ。楠甫は岩間庄の村名、謙倉の時、和田一門の關所にて、伊賀二郞兵衞尉光宗に賜へり。此の伊賀は佐藤伊賀守朝光の男·伊賀を以つて稱となすものにて、本姓佐藤氏なり。是より出づる趣なれども、其れ以前、廳官の所居古趾、荒墳等も存したり。平姓の人ありて楠浦氏を稱すならんか。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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