この名字はまだ図鑑に載っていません
全国14771位約395人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「椎塚」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
源氏車
牛車の車輪を象った図案。
『姓氏家系大辞典』第3巻 272コマに「家紋源氏車の轂に三巴、3cm5越中の椎名氏太平記卷三に椎名孫八入…」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
椎塚(しいづか)は、常陸図信太郡に椎塚邑がある。【1】○-常房(鳴根五郎)-胤光(椎名八郎)とあり。『千葉』の項を参照。【2】同上匝瑳党 ― 前項氏の族で、匝瑳党の一にこの氏がある。『鎌倉大草紙』に椎名與十郎胤家、また延徳元年の上杉定正判書に椎名慶珍などがこの族であるべき。代々匝瑳郡飯倉城に拠ったが、天正十八年に至り、陷った。米倉邑四光寺はその氏寺であり、応永年中、椎名氏の創建するところである。
椎塚シヒツカ常陸圖信太郡に椎塚邑あ象-常房(鳴根五郞)-胤光(椎名八郞)」とあり。千葉條參照。2同上匝瑳黨前項氏の族、匝瑳黨の一に此の氏あり。鎌倉大草紙に椎名與十郞胤家、また延德元年の上杉定正判書に椎名慶珍など此の族なるべし。代々匝瑳郡飯倉城に據りしが、天正十八年に至り、陷る。米倉邑四光寺は其の氏寺にして、應永年中、椎名氏の創建する處也。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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