この名字はまだ図鑑に載っていません
全国15538位約363人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
梅戸(うめど)は次の3つの系統がある。【1】桓武平氏・富田氏流が伊勢国(三重県)員弁郡梅戸邑から起こった。梅津氏と呼ぶことと同じかと言わ○。長享将軍江州(滋賀県)動座着到に「労州梅戸右京亮」を載せたることから、相当の大族であったことが知られる。後に佐々木から継いだ。メッの項を参照。『三国地志』に「朝明郡田光保、按○戸左衛門尉居守」と、また『名勝志田光城条』には「永延申、田光隼則城を築き、そこに住んだ。後に姓を梅戸と改めた。」とある。【2】佐々木氏流は前条氏の後を継いだのである。石見(島根県)にこの氏がある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
梅戶ウメド次の三流あり。1桓武平氏富田氏流伊勢國員辨郡梅戶邑より起る。梅津氏と云ふと同一かと云一〇長享將軍江州動座着到に「勞州梅戸右京亮」を載せたるより、相當の臺族たりしを知るべし。後佐々木より繼ぐ、メッ條參照。三國地志に「朝明郡田光堡、按毒戶左衞門尉居守」と0名勝志田光城條には「永延申、田光隼則城を築き、之に居る。後姓を梅戶と改む。」とあり。2佐々木氏流前條氏の後を繼ざし也。石見に此の氏あり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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