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全国13511位約459人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
桃(もも)は紀伊(和歌山県)の口碑に「三位中将桃小太耶がいる、○○条1663頁を参照」とある。また摂津四宮社家に百大夫がいる。また徳川時代、伊勢飯高郡の人桃為春(別に橈井、量第)が江戸に移る。その子は三盛、道隆、全生である。道隆は星暦の学に達し、東園居士と称し、その男源蔵は松江藩に仕えた。また別に石見(島根県)の学者桃源議白鹿(子課)が松江侯に仕えた。その義子は三郎忠徳である。また幕末に○好裕がいて、節山と号した。皆松江藩の学者である。また石見に現存する。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
桃モモ紀伊の口碑に「三位中將桃小太耶あり、カハハタ條一六六三頁を見よ。又攝津四宮社家に百大夫あり。又德川時代、伊勢飯高郡の人桃爲春(一に橈井、量第)·江戶に移る。その男三盛、道隆、全生にして、道隆は星曆の學に達し、東園居士とすすその男源蔵·松江藩に仕ふ。一に石見の學者桃源議白鹿(子課)·松江侯に仕ふ、その義子三郞忠德と。又幕末·橈好裕あり、節山と號す。皆松江藩の學者也。又石見に現存す。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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