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全国15369位約371人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
柑本(こうじもと)は、紀伊(和歌山県)の名族であり、『続風土記』の郡賀郡粉河庄粉河村中斎旧家六十人地士柑本常五郎項に「その祖を柑本大識道安という。河内国(大阪府)畠山家に仕え、同国矢田辺村で五百石を領する。天王寺合戦に軍功があり、馬鞍を与えられた。その鞍を今に蔵する。その後、将軍義輝公に謁見して、柑本の氏を賜った。道安の子を内蔵之助盛弥という。道安の二男を額田角兵衛という。上杉景勝に仕え、六百石を領する。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
柑本カウジモト紀伊の名族にして、續風土記、郡賀郡粉河莊粉河村中齊舊家六十人地士柑本常五郞條に「其の祖を柑本大識道安といふ。河内國畠山家に仕へ、同國矢田邊村にて五百石を領す。天王寺合戰に軍功ありて馬鞍を與へらる。其の鞍今に藏む。其の後、將軍義輝公に謁し、柑本の氏を賜ふ。道安の子を内藏之助盛彌といふ。道安の、二男を額田角兵衞といふ。上杉景勝に仕へ、六百石を領す。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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