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全国14876位約391人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
杢田(もくだ)は、目代(もくだい)・左官代(さかんだい)で、目(佐官)の代官の意であり、後に音読される。このような官職名であるが、最終的に家名となったものもある。武雄社平治元年の文書に「府御目代壹岐守殿」、河上社文治三年の文書に「肥前御目代殿」、建久四年の文書に「目代中原」、対馬国(長崎県)府八幡建暦二年の文書に「目代右衞門少尉藤原朝臣」、肥前承元三年在庁連署に「目代右衞門尉藤原」、また保元三年・嘉応二年の連署に目代を挙げ、淀姫社元亨四年の文書に「目代信慶」が見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
杢田モクダ目代モクダイサカンダイ目(佐官)の代官の意にて、後音讀す。かく官職名なれど、遂に家名となれるものあり。武雄社平治元年文書に「府御目代壹岐守殿」、河上社文治三年文書に「肥前御目代殿」、建久四年文書に「目代中原」、對馬國府八幡建曆二年文書に「目代右衞門少尉藤原朝臣」、肥前承元三年在廳連署に「目代右衞門尉藤原」、又保元三年、嘉應二年の連署に目代を擧げ、淀姫社元亨四年文書に「目代信慶」見ゆ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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