この名字はまだ図鑑に載っていません
全国16148位約339人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「村垣」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
巴
弓を射るとき腕に着ける鞆(とも)を象り、三つを渦に組んだ図案。
『姓氏家系大辞典』第6巻 184コマに「家紋角餅に左三巴、一輪牡〓o寬政系譜に」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
村垣(むらがき)は〇和源氏字野氏族で、駿河国(静岡県)の名族であり、家伝に「大森治員の後裔であり、その先祖が益津郡村垣〇に住んだことから家号とした」と云う。家紋は角餅に左三巴、一輪牡〇。寛政系譜に「紀州(和歌山県)家臣村垣吉平忠充-左兵〇芳充-左太夫軌文-左太郎軌之(百俵)」と載せており、武鑑に「左大夫-淡路守(三百石)〇、その相応する者は何人ぞや、若くは国か」と。すなわち兄の夷守、弟の寿守の二人を遣わして見させた。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
村垣ムラガキ1〓和源氏字野氏族駿河國の名族にして、家傳に「大森治員の後裔にして、その先·益津郡村垣〓に住せしより家號とす」と云ふ。家紋角餅に左三巴、一輪牡〓o寬政系譜に「紀州家臣村垣吉平忠充-左兵〓芳充-左太夫軌文-左太郎軌之(百俵)」と載せ、武艦に「左大夫-淡路守(三百石)4、其の儀へる者は何人ぞや若くは國かと。乃ち兄夷守弟寿守の二人を遣はして觀せしむ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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