この名字はまだ図鑑に載っていません
全国12086位約550人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
杉政(すぎまさ)は越中の豪族である。『三州志』の新川郡岩木城の項に「元亀二年、白屋秋貞が城主の斎藤信和を攻めようとしてこの岩木に附属の砦を築いたとある。その後、秋貞は佐々に降って岩木城主となったが、村田継殿助がこれを攻め取り、その後越後の杉政三郎右衛門がそこにいたという。杉政は元の城主信和の配下である。天正十一年、佐々と神保城生を攻め取る時、請士と共に杉政は退去したので、佐々与左衛門を置いた」とある。
杉政スギマサ越中の豪族にして、三州志、新川郡岩木城(在宮川〓岩木村領)條に「元龜二年、白屋秋貞·城主の齋藤信和を攻めんと、此の岩木に附堡を築くとあり。此の後、秋貞は佐々に降り、岩木城主となりしを、村田繼殿助攻取り、後、越後の杉政三郞右衞門居すと云ふ。杉政は元城主の信和の麾下也。天正十一年、佐々·神保城生を攻め取る時、請士と共に、杉政退去、因りて佐々與左衞門を置く」となり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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