末弘

すえひろSuehiro

全国8582位 ・ 約949人

末弘(すえひろ)は、また末広とも書く。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
すえひろ
ローマ字
Suehiro
全国順位
全国8582位
推計人数
約949人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

末弘をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Suehiro読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 尾張国(愛知県)
  • 安芸国(広島県)
  • 豊前国(福岡県・大分県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

末弘(すえひろ)は、また末広とも書く。 【1】島津氏族 ― 「島津系図」に「四代忠宗―(五代貞久、弟の次郎資忠(左衛門尉、尾張守、北○と号す)は末弘の祖)」と見える。 【2】桓武平氏土肥氏族 ― 小早川氏の族で、その系図に「安芸守宣平―末弘明平」と見える。 【3】豊前(福岡県・大分県)の末弘氏 ― 下毛郡の豪族で、戦国の頃、末弘正行が一方に割拠した。 【4】橘姓楠氏族 ― 摂津(大阪府・兵庫県)の豪族で、末広とも末弘とも書く。後世、西成郡三津屋村に存する。これはあるいは平野・坂上の一族か。楠正行の裔だという。文永年間、末弘治郎左衛門尉があり、本願寺蓮如に帰依した。 【5】雑載 ― 「明徳記」下巻に末弘入道があり、また肥前(佐賀県・長崎県)に末弘の名があり、河上社文書に見える。 また近い世の明治に末広重恭(号鉄腸)があり、筆はたいそう達者で、伊予宇和島の人である。また浪花節の末広亭辰丸は本名を福島氏というと。また豊後(大分県)にこの地名がある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

末弘スヱヒロ又末廣に作る。スエハラ-スエヒロ1島津氏族島津系圖に「四代忠宗-(五代貞久、弟次郞資忠(左衞門尉、尾張守、北〓と號す。末弘祖」と見ゆ。 2桓武平氏土肥氏族小早川氏の族にして、その系圖に「安藝守宣平-末弘明平」と見ゆ。 3豐前の末弘氏下毛郡の豪族にして、戰國の頃、末弘正行·一方に割據す。 4橘姓楠氏族抵津の豪族にして、末廣とも末弘ともあり。後世、四成郡三津屋村に存す。これ或は平野坂上の一族か。楠正行の裔と云ふ。文永年間、末弘治郞左衞門尉あり、本願寺蓮如に歸依す。 5離載明德記下卷に末弘入道、又属前に末弘名あり、河上社文書に見ゆ。又近き世、明治に鐵膓末廣重恭あり、筆甚だ健.伊儀宇和島の人也。又浪蒟節末廣亭辰丸は本名福島氏也と。又豐後に此の地名あり。

姓氏家系大辞典 第3巻 366コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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