この名字はまだ図鑑に載っていません
全国14876位約391人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
末兼(すえかね)は中国地方の名族である。藤原朝臣姓の末包家譜に「姓は藤原。家紋は丸内橋。旗紋は三羽鴉(白牡丹)。大織冠内大臣謙足公-藤童殿(鎌足公の御末子である。御母堂が御懐妊の節、光陰が積もるままに、身重くなられた。しかるに公が病に臥し、医療が効かず、天智帝八年十月十三日、山城国(京都府)山科において、五十六歳にして薨ぜられた。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
末兼スヱカネ中國地方の名族也。1藤原朝臣姓末包家譜に「姓藤原。家紋丸内橋。旗紋三羽鴉。(白牡丹)。大織冠內大臣謙足公-藤童殿(鎌足公の御末子なり。御母堂御懷妊の節、光陰つもるまゝに、身重らせ給ふ。しかるに公·病に臥し給ひ、醫療驗なく、天智帝八年十月十三日、山城國山科に於てい、五十六歳にして薨じ給ふ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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