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全国13511位約459人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
木付(きつき)は豊後発祥の豪族で、速見郡杵築邑から起こった。大友氏の族で、その系図に「親秀―親重(木付大炊六郎、木付の祖)」と見え、浅羽本には「木村六郎に誤る。○重は利根親秀の子で、肥前守に任じられ、検非違使を兼ね、速水郡の武者所となり、木付邑を領して、これを氏としたのである。かつて鎌倉に至り、宗尊親王に仕えて、談話が和漢の事蹟に及んだ。親王が嘆いて曰く、○は和漢の将軍也と。ついにこれをもって号となすという。
木付キツキ豐後發祥の豪族にして、速見郡杵築邑より起る。大友氏の族にして、其の系圖に「親秀-親重(木付大炊六郞、木付之祖)」と見え、淺羽本には「木村六郞に誤る。〓重は利根親秀の子にして、肥前守に任ぜられ、檢非違使を兼ね、速水郡の武者所となり、木付邑を領し、之を氏とせし也。嘗て鎌倉に至り、宗尊親王に侍し、談·和漢の事蹟に及ぶ。親王歎じて曰く、〓は和漢の將軍也と。遂に以つて號となすと云ふ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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