朝隈
あさくまAsakuma
全国9562位 ・ 約801人
朝隈(あさくま)は、薩摩国出水郡朝隈より起こる。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- あさくま
- ローマ字
- Asakuma
- 全国順位
- 全国9562位
- 推計人数
- 約801人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
朝隈をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Asakuma読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「朝隈」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
木瓜
四つの弁を重ねた輪郭のなかに、花を置いた図案。
『姓氏家系大辞典』第1巻 42コマに「紋に、日下氏·八木同·大田垣同朝倉と載せ、朝倉系圖に家紋三木瓜と…」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 薩摩国(鹿児島県)
- 出雲国(島根県)
- 上野国(群馬県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
朝隈(あさくま)は、薩摩国(鹿児島県)出水郡朝隈より起こる。近世、鯖調村に朝隈城があり、この氏が拠った地と伝える。 (このあと原文は次の見出し「朝酌(あさくみ)」の記事に移る) 朝酌は、「和名抄」の出雲国(島根県)島根郡に朝酌郷があり、「風土記」にも見える。 (このあと原文は次の見出し「朝倉(あさくら)」の記事に移る) 朝倉は、「和名抄」の上野国(群馬県)那波郡に朝倉郷(阿佐久良)、伊予国(愛媛県)越智郡に朝倉郷(安佐久良)、土佐国(高知県)土佐郡に朝倉郷などを収める。なお筑前国(福岡県)に朝倉郡があり、後世分かれて上座郡・下座郡となったが、「和名抄」の下座には下都安佐久良と注してある。 朝倉氏のうちにはこれらの地名から起こった流れもあるという(この部分は原文が崩れて読み取りにくい)。蒲生系は越後国(新潟県)南魚沼郡浅貝村にあり、下野国(栃木県)には浅木庄がある。……(中略)但馬(兵庫県)の朝倉庄は「太田文」に見える。こうして朝倉氏には次の数流がある。 【1】朝倉君 ― 朝倉氏のうち最古のものである。「孝徳紀」大化二年条に「東国の朝集使らに詔して曰く云々、紀麻利耆拖臣が犯した所は人を朝倉君・井上君の二人の所に使わしてその馬を牽き来らしめてこれを視る。また朝倉君に刀を作らせ、また朝倉君の弓布を得、また国造が送った兵代の物を明らかに主に還さず、みだりに国造に伝えた」と見える。……(中略)天平九年二月紀に、正七位上朝倉君時並に外従五位下を授けたことが見える。 【2】朝倉直 ― 君姓と同異は詳らかでない。「拾芥抄」「和名類聚抄」に見える。 【3】上野の朝倉氏 ― 朝倉君の一族であろう。「万葉集」巻二十、上野国防人に朝倉益人という者が見える。東国の朝倉氏のうちにはこの朝倉の族裔が多いであろう。 【4】但馬の朝倉氏 ― 開化帝の裔である日下部氏の一族である。「日下部系図」は朝倉氏の出自を、孝徳天皇の皇子・有馬皇子の子・表米から出たとするが、その誤りは日下部(くさかべ)氏の項で詳しく述べる。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
朝隈アサクマ薩摩國出水郡朝隈よリ起る近世鯖調村に朝隈城あり。此の氏の據りし地と傳ふ朝酌アサクミ和名抄出雲國島根郡に朝酌郷あり。風土記にも見ゆ朝倉アサクラ和名抄上野國那波郡に朝倉郷(阿佐久良)、伊豫國越智郡に朝倉〓(安佐久良)、土佐國土佐郡に朝倉〓等を收む。猶ほ筑前國に朝倉郡あり。後世分れて上座郡下座郡となれど、和名抄下座に註して下都安佐久良とあり。朝倉氏中には此等の地和蒲生系越後南魚沼郡に淺貝村あ下野に淺木庄あり。……但馬の朝倉庄は太田文に見ゆ。かくして朝倉氏には次の數流あり。 1朝倉君、朝倉氏中最古のものなり。孝德紀大化二年條に「東國の朝集使等に詔して曰く云々、紀麻利香拖臣犯す所は人を朝倉君、井上君、二人の所に使はして其の馬を牽き來らしめて之を視る。復た朝倉君をして刀を作らしめ、復朝倉君の弓布を得、復國造送る所の兵代の物を以つて明かに主に還さず、妄りに國造に傳ふ」と見ゆ。……天平九年二月紀に正七位上朝倉君時並に外從五位下を授く事見ゆ。 2朝倉直、君姓と同異を詳かにせず。拾芥抄、和名錐抄に見ゆ。 3上野の朝倉氏、朝倉君の一族なるべし。萬葉集廿、上野國防人に朝倉益人と云ふもの見ゆ。東國の朝倉氏中には此の朝倉の族裔多からん。 4但馬の朝倉氏、開化帝裔日下部氏の族なり。日下部系圖は朝倉氏の出自を、孝德天皇皇子有馬皇子の子表米より出づとなせど、其の誤なるは日下部(クサカベ)氏條に詳說すべし。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
朝隈に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「朝」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が朝隈の前後にある名字です。
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