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全国16271位約335人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
有城(ありしろ)・有栖川宮(ありすがわのみや)は、洛東嵯峨に有栖川があり、野宮のそばを流れている。應永中に大通院榮仁親王が斯波義重の嵯峨有栖川の山庄に移られたが、これが有栖川宮号の起源であり、親王は伏見宮家の祖である。その後、寬文年間に後四天皇皇子幸仁親王がこの宮号を継ぎ給うたが、これが後の有栖川宮家である。有栖川は崇光帝の裔であり、紹運録に崇光院─榮仁親王(号有栖川)─貞成親王と見える。
有城アリシロ有栖川宮アリスガハノミヤ洛東嵯峨に有栖川あり、野宮の傍を流る、應永中大通院榮仁親王·斯波義重の嵯峨有栖川の山莊に移り給ふ、これ有栖川宮號の起原にして親王は伏見宮家の祖なり。後寬文年間、後四天皇皇子幸仁親王此の宮號を嗣ぎ給ふこれ後の有栖川宮家なり。有栖川1崇光帝裔、紹運錄に崇光院-榮仁親王(號有栖川)-貞成親王と見ゆ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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