最首

さいしゅSaishu

全国8685位 ・ 約933人

最首(さいしゅ)は、才所(さいしょ)と同じで、次の項の氏と同じか。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
さいしゅ
ローマ字
Saishu
全国順位
全国8685位
推計人数
約933人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

最首をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Saishu読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 加賀国(石川県)
  • 大隅国(鹿児島県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

最首(さいしゅ)は、才所(さいしょ)と同じで、次の項の氏と同じか。加賀藩(石川県)給帳に「百五十石(丸内抱きかつき葉)才所左守」と見える。 (このあと原文は次の見出し「税所(さいしょ)」の記事に移る)税所は、職名から起こる。税所は古代の税部(ちからべ)に似ている。国府庁にあって、一国の租税・公田・私田の総数を勘会した、在庁官人の一つである。また武家にもこの職があり、収税のことを掌ったようである。 藤原姓(宇多帝の裔)で大隅(鹿児島県)の大族が、税所の職にあったのを氏名としたことは明らかである。 その出自については明らかでない点が甚だ多いが、建久八年六月の当国図田帳には「曾野郡重富三十三丁、税所藤原篤周の所知」と載せ、また末文の連署には「税所散位藤原朝臣在判」とある。なお篤周の前後に「重枝二十丁、郡司藤原篤守の所知」「用松十五丁、藤原篤頼(河俣新大夫)」などと見えるのも、この一族だろう。次に建久九年三月の御家人交名には……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

最首サイシユ才所サイショ次條氏に同じきか。加賀藩給帳に「百五拾石(丸内抱カツキ葉)オ所左守」と見ゆ。稅所サイシヨ職名より起る。稅所は古代の稅部(チカラベ)に似たり。國府廳に在りて、一國の租稅、公田、私田の總數勘會す。在廳官人の一也。又武家にも此の職ありて、收稅の事を掌りしが如し。藤原姓(宇多帝裔)大隅の大族にして稅所の職にありしを氏名に負ひしや明白なりとす。其の出自に關しては、明白を缺く點甚だ多きも、建久八年六月の當國圖田帳には「曾野郡重富三十三丁、稅所藤原篤周の所知」と載せ、又末文連署に「稅所散位藤原朝臣在判」とあり。猶ほ第周の前後に「重枝廿丁、郡司藤原篤守の所知、」「用松十五丁、藤原篤頼(河俣新大夫)」など見ゆるも、此の族なるべし。次に建久九年三月御家人交名には……

姓氏家系大辞典 第3巻 89コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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