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全国23476位約175人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
時藤(ときふじ)・時古(ときふる)は、下野国(栃木県)時古邑から起こり、時古城に据えた。秀○流の藤原姓で、系図に「佐野左近将監秀綱-盛政(二男、時古三郎出雲守)-政綱(神谷五郎大夫)」とあり、『子孫は神谷の項を見よ』と注している。その後、朝解部(ときべ)は職業部の一で、訴訟を裁判することを職とする日部である。刑部省令に「大解部10人が争訟を問い窮めることを掌り、中解部20人が掌ることは大解部と同じ」と規定している。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
時藤トキフヂ時古トキフル下野國時古邑よリ起リ、時古城に據る。秀〓流藤原姓にして、系圖に「佐野左近將監秀綱-盛政(二男、時古三郎出雲守)-政綱(神谷五郎大夫)」とあ"子孫神谷條を見よ。と見ゆ。後に朝解部トキベ職業部の一にして、訴訟を裁判するを職とする日部也。刑部省令に「大解部·十人、爭訟を問窮する事を掌る。中解部·廿人、掌ること大解部に同じ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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