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全国11443位約598人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
明坂(あきさか)秋貞(あきさだ)秋里(あきさと)は因幡国高草郡秋里村から起こった。高階朝臣姓であり、高師直の後である。『因幡志』秋里村条に「古城は秋里玄蕃頭師永の創設であり、師永は高師直の次男で、後に山名に属した。玄蕃尤に至り法美郡杉崎村妙見山城に移った」と。また『法美郡今衣山城』条に「秋里左馬尤が創設し、高草郡秋里氏の一族であり、山名の幕下の高師永が元徳以前に当国に来て秋里村に住んだ」と見える。
明坂アキサカ秋貞アキサダ秋里アキサト因幡國高草郡秋里村より起る。高階朝臣姓、高師直の後也。因幡志秋里村條に「古城、秋里玄蕃頭師永の草創、師永は高師直の次男、後山名に屬す。玄蕃尤に至り法美郡杉崎村妙見山城に移る」と。又法美郡今衣山城條に「秋里左馬尤草創、高草郡秋里氏の一族、山名の幕下高師永、元德以前當國に來り秋里村に住す」と見ゆ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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