この名字はまだ図鑑に載っていません
全国12401位約526人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「日戸」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
藤
藤の花房を二つ、垂らして描いた図案。
『姓氏家系大辞典』第5巻 248コマに「家紋下藤、違棒、百んじ奥南舊指錄に」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
日戸(ひのと)は、陸中国厳手郡日戸邑から起こった。秀○流藤原姓で、川村周防太郎の末流であるという。家紋は下藤・違棒・百○○。『奥南旧指録』に「日戸、玉山、下田、沼宮内、川口、渋民、以上の六家は、藤原秀○十六代、相州の住人川村周防次郎・奥州へ下向、子孫この六家となる」と見える。天文年中より南部家に属す。南部・一方井・米内・栗谷川などの項を見てほしい。また日戸五兵衛などがある。
日戶ヒノト陸中國嚴手郡日戶邑より起る。秀〓流藤原姓、川村周防太郞の末流なりと云ふ。家紋下藤、違棒、百んじ奥南舊指錄に「日戶、玉山、下田、沼宮内、川口、澁民、以上の六家は、藤原秀〓十六代、相州の住人川村周防次郞·奧州へ下向、子孫この六家となる」と見ゆ。天文年中より南部家に屬す、南部、一方井、米内、栗谷川等の條を見よ。又日戶五兵衞等あり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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