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全国24405位約163人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
掛樋(かけひ)・筧田(かけひだ)・掛札(かけふだ)・掛町(かけまち)は、博多織の祖に掛町彦三郎がいた。黒田長政の頃の人であり、唐織が上手だったので、竹若家にこれを習わせた(『筑前続風土記』)。彦三郎は承天寺視聖一国師の従士満由弥三右衛門の後裔であるという。満田氏は宋国に渡り、機織、朱焼、箔焼、索麺などの技法を伝えた人である。
掛樋カケヒ筧田カケヒダ掛札カケフダ掛町カケマチ博多織の祖に掛町彦三郞あり、黑田長政頃の人にて、唐織をよくせしかば、竹若家をして之を習はしむ(筑前續風土記)。彥三郞は承天寺視聖一國師の從士滿由彌三右衞門の後裔なりと。滿田氏は宋國に渡りて、機織、朱燒、箔燒、索麵等の法を傳へし人なり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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