この名字の読みはまだ確かめられていません(誤った読みを出さないため、推測では載せていません)。
この名字はまだ図鑑に載っていません
全国16496位約327人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「抱」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
藤
藤の花房を二つ、垂らして描いた図案。
『姓氏家系大辞典』第6巻 7コマに「家紋丸に抱義荷、藤巴」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
○とあり、佐原太郎兵衛尉景連の男五郎胤連の男がこれを名乗ったと(載る)。また「その子」と称する者も尾州(愛知県)に多い。江戸幕臣に「この裔」という者が、一つには「義連の三代真野五郎胤連の後、金右衛門重政(尾張富塚の人で信長に仕える)-同重吉(元亀二年没)-同重家(寛政に孫三郎重政が家康に仕える)-惣右衛門重則(近江二百四十石)。家紋は丸に抱義荷・藤巴」と述べ、また『寛永系図』の藤原の部に「金右衛門重吉-同重家-惣右衛門勝重(実は稲田義政の男)」……(引用はここで途切れている)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
抱メウガ、佐原太郞兵衞尉景連の男五郞胤連男·之を稱す」と載せ、又そのとと稱する者、尾州に多し。江戶幕臣に此の裔と云ふもの、一は「義連の三代眞野五郞胤連の後、金右衞門重政(尾張富塚の人、信長に仕ふ)-同重吉(元龜二卒)-同重家(寛政に孫三郞重政、家康に仕ふ)-惣右衞門重則(近江二百四十石)。家紋丸に抱義荷、藤巴」と云ひ、又寬永系圖、藤原の部に「金右衞門重吉-同重家-惣右衞門勝重(實は稻田義政男)。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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