扇谷

おうぎやOugiya

全国3671位 ・ 約3,380人

扇谷(おうぎがやつ)は、相模国鎌倉の扇谷から起こった名族であり、関東管領の執事・上杉氏の一家名である。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おうぎや
ローマ字
Ougiya
全国順位
全国3671位
推計人数
約3,380人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

扇谷をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Ougiya読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 相模国(神奈川県)
  • 伊予国(愛媛県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

扇谷(おうぎがやつ)は、相模国(神奈川県)鎌倉の扇谷から起こった名族であり、関東管領の執事・上杉氏の一家名である。 はじめ上杉氏の一族・伊予守顕定がこの地に居り、その子・弾正少弼氏定(実は顕定の子)は応永二十三年の乱で、十月八日に藤沢道場へ走って死んだ。よって山内上杉持定の弟・持朝をもってその遺跡を継がせた。修理大夫持朝入道道朝がこれである。 足利成氏が鎌倉に帰ると、持朝は武州(東京都・埼玉県)河越城に拠った。その子に弾正少弼(修理大夫)顕房、修理亮高敦(三浦時高の養子)、刑部少弼朝昌、および定政(定正)などがある。 顕房は康正二年、成氏のために自殺し、その子・政真は文明五年に誅せられた。よって定政が扇谷家を嗣いだ。家臣の太田道灌は智勇兼備で、これによりこの家は勃興したが、道灌の死後、また衰えた。定政は明応二十年に逝去した。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

扇谷アフギガヤツ相模國鎌倉の扇谷より起りし名族にして、園東管領の執事上杉氏の一家名なり。始め上杉氏の一族伊豫守顯定此の地に居り、其子彈正少弼氏定(實頼顯の子)は應永二十三年の亂十月八日藤澤道場に走りて死す。よりて山内上杉持定の弟持朝を以つて其の遺跡を襲がしむ。修理大夫持朝入道道朝これなり。足利成氏の鎌倉に歸るや、持朝武州河越城に據る。其の子に彈正少弱(修理大夫)顯房、修理亮高敦(三浦時高養子)、刑部少弱朝昌、及び定政(定正)等あり。顯房康正二年成氏の爲に自殺し、其の子政眞、文明五年誅せらる。よりて定政扇谷家を嗣ぐ。家臣太田道灌智勇兼備、よりて此の家勃興したるも道灌死後、また衰ふ。定政明應二十年逝。

姓氏家系大辞典 第1巻 90コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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