この名字はまだ図鑑に載っていません
全国14499位約407人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
成富(なりとみ)は肥前(佐賀県・長崎県)の豪族であり、龍造寺の家臣に成富十右衞門がいて、筑後(福岡県)に高牟禮城を築いた。後に佐賀鍋島藩士に成富兵部茂安がいたが、水利の技術に長けていた。直茂に仕えて、治水と開墾に大きな功を立てた。特に千年川の右岸に堅牢な堤を築き、対岸の久留米領を圧した。(一説には加藤○正の家臣成富兵庫といっている)。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
成富ナリトミ肥前の豪族にして、龍造寺家臣に成富十右衞門あり、筑後に高牟禮城を築く。後、佐賀鍋島藩士に成富兵部茂安あり、水利の術に長ず。直茂に仕へ、治水墾田に大功を建つ。殊に千年川の右岸に堅牢の堤を築き、對岸の久留米領を壓す。(一に加藤〓正家臣成富兵庫云々と)。
『姓氏家系大辞典』はこの名字を「成富」の表記で立項しています。引用はその項のものです。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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