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全国11300位約610人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
慶徳(けいとく)は平田氏流・岩代国耶麻郡慶徳村から起こった。中興系図に「慶徳は本国陸奥、最上家臣・平田是宗の男・五郎詮盛で、耶麻郡紫雲山慶徳寺を建立した。これにより氏とした」と載せ、新編会津風土記に「慶徳組慶徳村館述。天正中・華名氏の臣・慶徳善五郎がここに居る。同十三年五月、松本備中が伊達政宗に内応したとき、中目式部大輔・善五郎と共に、政宗の郎等・原田左馬助を打ち破ったのは、すなわちこの館である。
慶德ケイトク1平田氏流岩代國耶麻郡慶德村よリ起る。中興系圖に「慶德、本國陸奥、最上家臣、平田是宗の男五郞詮盛、耶麻郡紫雲山慶德寺を建立す。是により氏となす」と載せ、新編會津風土記に「慶德組慶德村館述。天正中華名氏の臣慶德善五郞·こゝに居る。同十三年五月、松本備中·伊達政宗に內應せしとき、中目式部大輔·善五郞と共に、政宗が郞等原田左馬助を打破りしは、卽ち此の館なり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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