この名字はまだ図鑑に載っていません
全国20974位約215人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
志佐(しさ)は肥前(佐賀県・長崎県)、豪岐に地名が存在する。松浦党は尼前国松浦郡の志佐邑より起こり、松浦党の一つであり、一時は大いに栄えて壱岐島を領した。その出自については、他の松浦諸氏と同様に、種々の説がある。嵯峨源氏渡辺氏の裔という説もあれば、安倍宗任の後であると伝わり、また源頼光の孫久が御厨庄加治山城に居る者の裔であるという説もある(久はその実は渡辺氏である)。これらは一括して松浦の条で述べるべき事柄であり、その条を参照すること。平戸松浦系図には庶流にこの氏を収める。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
志佐シサ肥前、豪岐に此の地名存す。松浦黨尼前國松浦郡の志佐邑より起30下松浦黨の一にして、一時大いに榮え、壹岐島を領す。其の出自に關しては、他の松浦諸氏と同樣に、種々の說あり、或は嵯峨源氏渡邊氏の裔と云ひ、或は安倍宗任の後と傳へ、又源頼光の孫久·御厨庄加治山城に居る、その裔なりと。(久は其の實·渡邊氏也)。此等は一括して、マツウラ條にて述ぶべし、その條を見よ。平戶松浦系圖には庶流に此の氏を收む。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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