徐

じょJo

全国5753位 ・ 約1,740人

徐(じよ)は、唐からの帰化姓で、延暦三年に栄山忌寸を賜った。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
じょ
ローマ字
Jo
全国順位
全国5753位
推計人数
約1,740人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

徐をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Jo読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 大和国(奈良県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

徐(じよ)は、唐からの帰化姓で、延暦三年に栄山忌寸を賜った。栄山の項を見よ。また後世、万暦年間に、明の○山の人で紹興の斎紹○奠という者が本朝に帰化した。その子の総政は訳官となった。 (このあと原文は次の見出し「松翁」の記事に移る) 松翁(しょうおう)は、北野社の社家である。……(中略) (このあと原文は次の見出し「松向軒」の記事に移る) 松向軒(しょうこうけん)は、北野社の社家で、景行天皇奇と称する。菅原姓十川家の分流である。 (このあと原文は次の見出し「承仕」の記事に移る) 承仕(しょうし)は、大和国(奈良県)式下郡法貴寺記録に承仕権四郎が見える。 (このあと原文は次の見出し「松盛斎」の記事に移る) 松盛斎(しょうせいさい)は、古流挿花の家で、初代理遊は関本氏である。……(中略)藤原姓と称せられる。守藤・在藤と同様、春日氏であって、藤姓を称したものであろう。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

徐ジヨ唐よりの歸化姓にして、延曆三年に榮山忌寸を賜へり。榮山條を見よ。又後世萬曆中、明の蘸山の人紹興の斎紹〓奠·本朝に歸化す。その子總政·譯官となる。松翁ショウオウ北野社の社家也。……松向軒ショウカウケン北野社の社家にして、景行天皇奇と稱す。菅原姓十川家の分流也。承仕シヨウシ大和國式下郡法貴寺記錄に承仕權四郞見ゆ。松盛齋ショウセイサイ古流挿花の家、初代理遊は關本氏也。……藤原姓と稱せらる。守藤、在藤と同樣、春日氏にして、藤姓を稱せしものか。

姓氏家系大辞典 第3巻 347コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じくらいの多さの名字

全国順位が徐の前後にある名字です。

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