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全国12582位約514人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
延澤(のべさわ)は羽前国(山形県)村山郡延澤邑から起こった。『続太平記』に延澤冠者昭光が挙げられており、この氏の祖ではないかという。その後、天童家配下の八植の一つに、送澤能登守信景がおり、後に最上義光に属し、『義光物語』には「延澤城主日野能登守」と載せられ、『最上分限帳』に「野辺澤二万石」と見える。おそらく近江源氏日野氏族ではないかという。『永慶軍記』に「天童の家臣にして、八幡の一城主延澤能登守信景は大剛の者であるが、特に力・人に優れている
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
延澤ノベサハ羽前國村山郡延澤邑より起る。續太平記に延澤冠者昭光を擧ぐ、此の氏の祖かと云ふ。その後、天童家配下八植の一に、送澤能登守信景あり、後に最上義光に屬し、義光物語には「延澤城主日野能登守」と載せ、最上分限帳に「野邊澤二萬石」と見ゆ。蓋し近江源氏日野氏族かと云ふ。永慶軍記に「天童の家臣にして、八幡の一城主延澤能登守信景は大剛の者なるが、殊に力·人に勝れたり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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