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全国15087位約383人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
広安(ひろやす)は広安一郎氏(福島市)の談によると「尼子家の末裔で、もと広島県御調郡に住んでいた。同郡原田村字小原は、寛永十五年頃の御地詰帖に苧原村と載り、天正年号の頃は備後国(広島県)貫郡大塔村と称される。その同村内の古城である○場城の城主であったが、毛利家の時に民間に落ち、その後備後国津之○に転住した。定紋は丸に立四つ目で、古くから帯刀及び広安姓を許され、それで村役を務めた」という。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
廣安ヒロヤス廣安一郞氏(福島市)談に「尼子家の末裔にして、もと廣島縣御調郡に住す。同郡原田村字小原は、寛永十五年頃御地詰帖に苧原村と載せ、天正年號の頃は備後國貫郡大塔村と稱す。その同村内の古城なる〓場城の城主たりしが、毛利家の時、民間に落ち、其の後備後國津之〓に轉住す。定紋は丸に立四つ目にして、古くより帶刀、及び廣安姓を許され、而して村役を務めし」とぞ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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