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全国13436位約463人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
平船(ひらふね)・平部(ひらべ)は日向(宮崎県)の豪族で、藤原姓である。平部系図に「日野右少弁俊基は元弘の中、後醍醐天皇の興復の謀に賛し奉る。事は潰れて北条高時に殺されるところとなる。季子俊氏は出でて日向に逃れ、伊東氏祐に倚る。氏祐は待つに賓客の礼を以ってし、平群庄三十町を与う。因りて平群氏と称し、その十世孫俊直に至り、改めて平部氏と称す」という。あるいは古代の大族平群氏○か、へぐり条参照。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
平船ヒラフネ平部ヒラベ日向の豪族にして、藤原姓也平部系圖に「日野右少辨俊基·元弘中、後醍醐天皇興復の謀に賛し奉る。事潰れて北條高時の殺す所となる。季子俊氏·出でゝ日向に逃れ、伊東氏祐に倚る。氏祐·待つに賓客の禮を以つてし、平群莊三十町を與ふ。因りて平群氏と稱し、其の十世孫俊直に至り、改めて平部氏と稱す」と云ふ。或は古代の大族平群氏育か、ヘグリ條參照。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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