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全国21398位約207人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
幡多(はた・はつた・はんた)は前後各条および反多条を参照。地名としては『和名抄』に、摂津国(大阪府・兵庫県)有馬郡に幡多郷が収められ、「発多上下あり」と記されている。現在有馬郡深谷村に遺跡があり、畑として利用されている。後に八多庄が起り、一に播多庄に作られた。次に河内国(大阪府)茨田郡に幡多○・見える。後世秦太・秦二村邑があり讀良郡に属する。次に越江国長下郡に幡多郷が収められ、判多と注記されている。現在長上郡に飯田村があり、即ち幡多の転で、中世飯田庄と呼ばれた。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
幡多ハタハツタハンタ前後各條、及びハンタ條參照。地名としては和名抄、攝津國有馬郡に幡多郷を收め、「發多上下あり」と。今有馬郡深谷村に遺跡ありて畑に作る。後八多庄起り、一に播多莊に作る。次に河内國茨田郡に幡多〓·見ゆ、後世秦太.秦二村邑ありて讀良郡に屬す。次に違江國長下郡に幡多郷を收め、判多と註す。今長上郡に飯田村あり、卽ち幡多の轉、中世飯田莊と云ふ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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