この名字はまだ図鑑に載っていません
全国22910位約183人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
『姓氏家系大辞典』の「布下」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
九曜
中央の星のまわりに、八つの星を丸く配した図案。
『姓氏家系大辞典』第5巻 12コマに「家紋九曜」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
布下(ぬのした)は前項を参照。信濃(長野県)の布下氏は佐久郡布下邑から起こり、村上氏に属する。天正年間に布下新左衛門がおり、『信府統記』に「天正16年丁未、常田山のこのあたりで布下新左衛門が陣場を構えたと」と。滋野姓は信濃の名族で、前項氏と同じであろう。しかし家譜には滋野氏の族と称している。家紋は九曜。『寛政系譜』に「下総豊正-伊勢豊明-豊友(与五左衛門)」などを載せ、また『小給地方由緒書』に「布下奥五左衛門」と。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
布下ヌノシタ前數項參照。信濃の布下氏佐久郡布下邑より起り、村上氏に屬す。天正年間、布下新左衞門あり、信府統記に「天正十六年丁未、常田山の此の方に布下新左衞門·陣場を構ふと。2滋野姓信濃の名族にして、前項氏に同じかるべし。されど家譜には、滋野氏の族と稱す。家紋九曜。寛政系譜に「下總豐正-伊勢豐明-豐友(與五左衞門)」等を載せ、又小給地方由緒書に「布下奥五左衛門。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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