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全国12138位約546人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
左(ひだり)は奥州の左氏で、天正二十年の南部領内四十八城目録に「寺林、山城、破却、信直抱、代官左平次」とある。また大工左家で、有名な左甚五郎は父を伊丹正利と称し、足利幕府に仕える。永禄中、国公方に○があり、正利が乱を明石に避ける。その妻と一子を摩耶山に置くことが久しく、四十八歳の頃、初めて甚五郎を産む。最初の名は刀顧松で、十三歳にして父を亡くし、母に従って伏見に往き、番匠奥平治に懸かる。
左ヒダリ1奥州の左氏天正二十年南部領內四十八城目錄に「寺林、山城、破却、信直抱、代官左平次」とa2大工左家有名なる左甚五郞は父を伊丹正利と稱し、足利幕府に仕ふ。永祿中、國公方·諒ありて、正利·亂を明石に避く其の妻一子を摩耶山に所ること久しく、四十八歲の頃、始めて甚五郞を產む。初の名は刀顧松、十三歲にして父を亡ひ、母に從ひて伏見に往き、番匠奥平治に懸る。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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