この名字はまだ図鑑に載っていません
全国18467位約271人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
川連(かわつら)は羽後国(秋田県)雄勝郡川連邑から起こった。また川津良とも書く。永慶軍記に「文禄五年、雄勝郡には稻庭、川連、三梨といって、小野寺の一族三個の城がある。湯沢の東五十里を隔てた所である。一度最上義光に降ったけれども、深くは下知に従わない。川連は小野寺景道の三男飛騨守の嫡子である経道の子、蔵人道基である」と載せている。小野寺系図に「晴道の子道実の弟道俊(川連善四郎、弘治三年十月二十七日卒、八十三歳、法名浄念)ー道光揮正、大永二年十二月23日
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
川連カハツラ羽後國雄勝郡川連邑より起る。又川津良に作る。永慶軍記に「文祿五年、雄勝郡には、稻庭、川連、三梨とて、小野寺の一族三个城あり。湯澤の東五十里を隔てし所也。一度最上義光に降りしと雖、深くは下知に從はず川連は小野寺景道が三男飛驒守が嫡子なる經道が子、藏人道基なり」と載せ、小野寺系圖に「晴道の子道實の弟道俊(川連善四郞、弘治三年十月二十七日卒、八十三歲、法名淨念)ー道光揮正、大永二年十二月廿三
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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