嶺

みねMine

全国5058位 ・ 約2,090人

嶺(みね)は、越後・肥前などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
みね
ローマ字
Mine
全国順位
全国5058位
推計人数
約2,090人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

嶺をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Mine読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 越後国(新潟県)
  • 肥前国(佐賀県・長崎県)
  • 隠岐国(島根県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

嶺(みね)は、越後(新潟県)・肥前(佐賀県・長崎県)などにこの地名がある。 【1】嶺県主 ― 肥前国内、後の三根郡の地は、古くは嶺県といった。この県主は「日本書紀」雄略紀に「筑紫の嶺県主・泥麻呂」とあるものを載せている。水間の条を参照。 【2】宗像氏族 ― 宗像神社の旧社家で、神職(職名)であった。宗像興氏の男・隠岐守の裔である。……(中略)また加賀藩(石川県)給帳に「二百五十石(丸の内左三つ巴)嶺判太夫、百石 嶺新兵衛」とある。嶺・前・後などの条を参照。 (このあと原文は次の見出し「峰(みね)」の記事に移る)峰は、山椒・伊勢(三重県)・安房(千葉県)・岩代(福島県)・肥前などにこの地名が存する。 【1】藤原北家 ― 堂上家の称号である。「尊卑分脈」峰の条を参照。……(中略) 【2】桓武平氏 ― 関氏族。伊勢国鈴鹿郡峰邑より起こる。関氏の一族で、政実を祖とする。「国家筋目」には「盛政三男・峰三郎左衛門尉盛重、峰に住す」とあり、「中古治乱記」には「盛政の五男を峰に置き、峰五郎政実という」とあって、「関系図」には「実治(盛政)―政実(越前守、峰氏祖)」とある。 氏人としては、寛正年間の峰城主・峰筑後守、「勢州四家記」に「鈴鹿郡峰」「関の三家督・峰筑前守」また峰八郎四郎などが見える。その居所である峰城の跡は河崎村の殿町にあり、東・北・南は水田に接し、西は小谷の山脈に連なる。 元弘年間、関実治の五子・政実がここに居して峰氏と称し、子孫が世襲して七世・八郎四郎に至った。天正二年七月、織田信長が長島一揆を征伐したとき、信長方に属して鹿伏兎六郎四郎・関四郎らとともに戦死し、弟の与八郎はなお幼かったため、これを他へ移した(「勢陽軍記」「背書国記」「九々五集」「名勝志」)。 「三国地志」には「思うに川崎村にあり、東西おおよそ七十五歩、南北百四十歩ほど。岑越前守が初めて築き、数代居城した(知行三万石。領色二十四)。天正二年、峰八郎四郎が長島で戦死し、弟の奥八郎が幼かったので岡本良勝が城主となり、後に亀山へ移ってこの城は廃された。 原堡について思うに、峰氏の家臣・堀内帯刀が守った」とある。そのほか、囲・北畠・南部・萱生などの条を参照。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

嶺ミネ越後、肥前等に此の地名あり。 1嶺縣主肥前國內、後の三根郡の地、古くは嶺縣と云ひし也此の輕主は雄略紀に「筑紫嶺峰主泥麻呂」と云ふを載せたり。水間條參照。 2宗像氏族宗像神社の舊社家にして、神職(職名)たりき。宗像興氏の男隱岐守の裔也。……又加賀藩給帳に「二百五十石(丸内左三巴)嶺判太夫、百石嶺新兵衞」を載せたり。ミネ前後敷條參照。ミネ山椒、伊勢、安房、岩代、肥前等に此の地名存す。 1藤原北家堂上家の稱號也。尊卑分脈棒條參照。……2桓武平氏關氏族伊勢國鈴鹿郡峰邑より起る。關氏の族にして、政實を祖とす。國家筋目には「盛政三男峯三郞左衞門尉盛重·峯に住す」と見え、中古治亂記に「盛政五男を峯に置き、峯五郞政實と云ふ」と載せ、關系圖には「實治(盛政)-政實(越前守、峯氏祖)」とあり。氏人は寬正中、峯城主峯筑後守、勢州四家記に「鈴鹿郡峰」「關の三家督·峰筑前守」又峰八郞四郞等見ゆ。その居所峯城の址は、河崎村の殿町に在リ、東北南は水田に接し、四は小谷の山脈に連る。元弘年中關實治の五子政實·之に居り、峯氏と稱し、子孫世襲し、七世八郞四郞に至りて、天正二年七月、織田信長。長島一揆を征するの時、信長に屬して、鹿伏兎六郞四郞、關四郞等と共に戰死す、弟與八郞尙ほ幼なり、因つて之を他に移す(勢陽軍記、背書國記、九々五集、名勝志)홍三國地志には「按ずるに川崎村にあり、東四凡そ七十五步、南北百四十步ばかり。岑越前守·初めて築き、數代居守、(秩三萬石。領色二十四)。天正二年、峯八郎四郞·長島にて戰死、弟奥八郞·幼なるゆ岡本良勝·城主となり、後龜山へ移りて此の城廢す。原堡·按ずるに峯氏の家臣堀内帶刀·居守」름その他、圍、北畠、南部、萱生等の條參照。

姓氏家系大辞典 第6巻 104コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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