この名字はまだ図鑑に載っていません
全国12472位約522人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
尾瀨(をせ)は上野国利根郡尾瀬から起こった。後閑村玉泉寺古記に「源頼義が奧州安倍貞任と対戦する。貞任(あるいは惟任と作る)は尾瀬谷窟に籠もる。その路は危険であり、その城は堅牢である。康平4年辛丑、武将頼義朝臣○(これは義家と言う)が利根郡において八幡大菩薩を勧請し、敵軍を退ける事を祈願する。神は奇瑞を見せ、その後尾瀨城を陥落させた。安倍の余党は八幡山岩窟にいて餓死する。」
尾瀨ヲセ上野國利根郡尾瀬より起る。後閑村玉泉寺古記に「源頼義、奧州安倍貞任と挑戰す。貞任(或は惟任に作る)尾瀬谷窟に籠居す。其の路危嶮、而して其の城固牢なり。康平四年辛丑、武將賴義朝臣〓は義家と曰ふ)利根郡に於いて八幡大菩薩を勸請し、敵軍を退くる事を警願す。神甚だ奇瑞を見せ、而して後尾瀨城を陷るゝ也10安倍の餘黨、八幡山岩窟に在りて餓死す。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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