この名字はまだ図鑑に載っていません
全国17283位約303人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
小谷津(こやつ)小谷中(こやなか)小梁川(こやながわ)は岩代国(福島県)伊達郡小梁川邑から起こった。伊達氏の族であり、伊達世臣家諸略記に「天海公の三子中務少輔盛宗が長享元年に瓊岩公(十二世成宗)が薨じると図君(香山公尙宗)はなお幼い。これにおいて盛宗がこれを助けた。百官を統べること十三歳。後に小梁川邑に住したことにより氏とする。明応九年に卒する。盛宗の子は尾張親朝であり弟がある。信濃宗朝(老称日○)と称する。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
小谷津コヤツヲヤツ小谷中コヤナカヲヤナカ小梁川コヤナガハヲヤナガハ岩代國伊達郡小梁川邑より起る。伊達氏の族にして、伊達世臣家諸略記に「天海公の三子中務少輔盛宗、長享元年、瓊岩公(十二世成宗)薨ずるや、圖君(香山公尙宗)尙ほ幼な〃。是に於いて、盛宗これに相たり。百官を總ぶる十三歲、後に小梁川邑に住しい因りて氏とす。明應九年に卒す。盛宗の子尾張親朝、弟あり、信濃宗朝(老稱日變)と稱す。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
「小谷津」の家系図は、まだ1つも公開されていません。あなたが最初のひとりになれます。ログインなしで、そのまま作り始められます。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →