この名字はまだ図鑑に載っていません
全国12855位約498人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
小槻(おつき)は、また小月とも書き使われる。近江国(滋賀県)栗太郡小槻邑から起こった。古代に小槻山君(小月山君とも書く)があり、その子孫であると言われる。おつきのやまの項を参照。【1】小槻臣 ― 垂仁帝の子孫であり、小槻山君の子孫である。『姓氏録』の左京皇別に「小槻臣は、同天皇(垂仁)の皇子於知別命の子孫である」と記されている。本国は近江国栗太郡である。【2】小槻連 ― 『桓武後紀』に「外従五位下小槻連濱名」という人物が見える。小槻山君との関係で豊山忌寸という姓を賜ったが、詳細は不明である。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
小槻ヲツキ又小月と通じ用ひらる。近江國栗太郡小槻邑より起る。古代小槻山君(小月之山君)あり、その後裔なりとす。ヲツキノヤマ條を見よ。1小槻臣垂仁帝裔にして小槻山君の後也姓氏錄、左京皇別に「小槻臣、同天皇(垂仁)皇子於知別命の後也」と載せたリ。本國は近江國栗太郡なり。2小槻連桓武後紀に「外從五位下小槻連濱名」なる者見ゆ。小槻山君との關係姓を豐山忌寸と賜ふ、」と詳かならず。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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