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全国19269位約251人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
宿久(すくく)は『和名抄』に振津国島下郡に宿人○があり、『人』は『久』の誤字であり、『延喜式』に須久久神社がある。また後世に宿河原・宿久庄の名が存する。また『神宮雑例集』に「天平十二年度展四月五日、春日御社を寿久山御社に遷し奉る。これは右大臣大中臣○万呂が致仕して、摂津島下郡寿久○に籠居する間、住家近所に崇め奉ったものである」と記され、また『朝野群載』天永二年の中宮職解に「摂津国(大阪府・兵庫県)宿久御園、八幡宮寺灯油料所」と見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
宿久スクク和名抄、振津國島下郡に宿人〓あり。人は久の誤寫にて、延喜式に須久久神社あり、又後世宿河原、宿久莊の名存す。又神宮雜例集に「天平十二年度展四月五日、春日御社を壽久山御社に遷し奉る。是れ右大臣大中臣〓萬呂·致仕して、攝津島下郡壽久〓に籠居する間、住家近所に崇め奉る也」to又朝野群載、天永二年の中宮職解に「攝津國宿久御園、八幡宮寺燈油料所、」と見ゆ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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