この名字はまだ図鑑に載っていません
全国17999位約283人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
家(すみ)の女が藤原氏に嫁して藤姓を名乗るに至ったのか。元々大え氏であったことが文書により明らかである。【25】荒木氏は以上の外『細川両家記』に荒木大蔵(高国の配下)、『豊鑑』に荒木平大夫(この人は秀吉に仕え、後に木下備中守重賢と名乗り、因幡平定後八上郡若佐城にあって二万石を領した)、慶長五年関ヶ原の役に四軍に属して除封された。
家スミの女藤原氏に嫁し藤姓を稱するに至りしものか。もと大へ氏なりし事文書によりて明白なり。25荒木氏は以上の外細川兩家記に荒木大蔵(高國の配下)、豊鑑に荒木平大夫、この人秀吉に仕へ、後木下備中守重賢と稱し因幡平定後八上郡若佐城にありて二萬石を領す、慶長五年關ヶ原の役四軍に屬して除封さる。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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