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全国22151位約195人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
安威(あわい)は前述の藍氏の後裔であろう。ただし美作(岡山県)の安威氏は或いは同名異流かもしれない。摂津(大阪府・兵庫県)の安威氏は足利末世、三島郡島下郡の安威村にある安感城に拠った。当城は安感彌四郞が築造したもので、彌四郞は享祿元年正月に細川晴元に降り、後に天文七年三好長慶に与した。細川兩家記に安感彌四郞と見えている。その子五左衛門尉に至り秀吉に従い、天正十四年茨木城に移る。豊臣家の記録等に安威振津守を記載している。当地方の名族で、古くは阿威神社を氏神としたと言う。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
安威アヰ前述藍氏の後裔ならん、但し美作の安威氏は或は同名異流か。1抵津の安威氏足利末世、三島郡島下郡)安威村安感なる安感城に據る。當城は安感彌四郞の築造にて、彌四郞は享祿元年正月細川晴元に降り、後天文七年三好長慶に與す、細川兩家記に安感彌四郞と見えたり。其の子五左衛門尉に至リ秀吉に從ひて天正十四年茨木城に移る。豊無等に安威振津守を載せたり。當地方の名族にて、古くは阿威神社を氏神とすと云ふ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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