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全国21189位約211人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
宇惠野(うえの)は、肥前深堀文書建武三年九月のものに若露字惠野三郎次郎拳光という者が見える。【1】下野(栃木県)・美濃(岐阜県)・土佐(高知県)など。【2】小笠原氏流 ― 小笠原政康の庶流で、後に上松と名乗る。信濃(長野県)に現存する。【3】武蔵(東京都・埼玉県)の植松氏 ― 『風土記稿』多摩郡の項に「植松太郎兵衛屋敷跡、井草森稲荷社の東方にあり、四方に堀切の跡があって存している。太郎兵衛がいつ頃の人であるか知らないが、由緒のある者であるはずである」と見える。【4】その他、紀伊名草郡に植松氏がある。『続風土記』に見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
宇惠野ウヱノ肥前深堀文書建武三年九月のものに若露字惠野三郞次郞拳光なる者見ゆ。下野、美濃、土佐等植松2小笠原氏流小笠原政康の庶流にして後上松と稱す。信濃に現存す。3武藏の植松氏風土記稿多摩郡條に「植松太郞兵衞屋敷跡、井草森稻荷社の東の方なり、四方に堀切の跡ありて存せり。太郞兵衞はいつの比の人なることは知らざれども故有者なるべし」と見ゆ。4其の他、紀伊名草郡に植松氏あり、續風土記に見ゆ。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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