この名字はまだ図鑑に載っていません
全国15275位約375人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
太地(たいち)は紀伊国(和歌山県)牟婁郡那智の太地邑から起こった。『続風土記』の那智庄条に「中世は那智山の社領であるだろう。太地村城山は村の坤の山上にある。日高郡の湯川氏、三前○古座浦の高川原氏が新宮を攻める時、和田蔵人、太地隠岐守など、この城を築いて防戦した地である」と記載されている。また『旧家条』に「太地角右衛門。同金右衛門。和田孫才次。家伝に言う、朝比奈義秀の後裔であり、義秀・和田合戦の後、この地に蟄居して、代々当村に住む。」
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
太地タイチ紀伊國牟婁郡那智の太地邑より起る。續風土記、那智莊條に「中世は那智山の社領なるべし。太地村城山。村 の坤の山上にあり。日高郡の湯川氏、三前〓古座浦の高川原氏、新宮を攻むる時、和田藏人、太地隱岐守等、此の城を築きて防戰せし地なり」と載せたり。又舊家條に「太地角右衞門。同金右衞門。和田孫才次。家傳にいふ、朝比奈義秀の後にて、義秀·和田合戰の後、此の地に蟄居し、代々當村に住す。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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