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全国20174位約231人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
天花寺(てんけじ)は伊勢国(三重県)の豪族で、壹志郡天花寺から起こり、北畠氏の臣である。『勢州四家記』に「曽原の天花寺」と載せ、『名勝志』に「天花寺跡。天花寺村堀田の山上にあり、松の木が茂り生え、壁濠の跡がある。里人が伝えて言うに、往昔、○大納言が城を築き、ここに住んだ。源実朝の時、久我三郎が住城する。青書国誌に、文治中に○二郎領と記す」。永享中、修理大夫なるものが住む。本州の守護船木光俊を攻め、勝利が得られずして自殺した。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
天花寺テンケジ伊勢國の豪族にして、壹志郡天花寺より起る、北畠氏の臣なり。勢州四家記に「曾原の天花寺」と載せ、名勝志に「天花寺址。天花寺村堀田の山上に在り、松樹茂生し、壁濠の址を存す。里人傳へ云ふ、往昔·薗大納言·城を築き、之に居る。源實朝の時、久我三郞居城す青書國誌に、文治中久氣二郞領と記す)。永享中、修理大夫なるもの之に居る。本州の守護船木光俊を攻め、利あらずして自殺す。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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