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全国11969位約558人
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
天方(あまがた)は遠江国山名郡天方から起こった。秀○流藤原氏首藤山内氏の族である。寛永系図に『元は首藤を称し、皇後守通秀に至りて遠江国天方城に居し、このゆえに改めて称号とした』とある。代々天方城に拠ったが、今川臣天方四郎三郎は永禄12年5月徳川氏に攻められて降った。翌元亀元年10月、城主天方山城守通重は又家康に攻められ防ぐことができずに降った(風土記伝)。徳川時代八幡青山藩に天方氏がある。
天方アマガタ遠江國山名郡天方より起る。秀〓流藤原氏首藤山内氏の族なり。寛永系圖に「元は首藤を稱す、皇後守通秀にいたりて遠江國天方城に居す、このゆへにあらためて稱號とす」とあり。代々天方城に據りしが、今川臣天方四郞三郞·永祿十二年五月德川氏に攻められて降る。翌元亀元年十月·城主天方山城守通重、又家康に攻められ防ぐ能はずして降る(風土記傳)德川時代八幡青山藩に天方氏あり。
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
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